三上七十郎
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安政4年5月6日(1857年5月28日)、埼玉県引又河岸で廻漕問屋を営む三上家(父・七次郎、母・たつ)の次男として生れる[4]。祖父は、廻漕問屋を営んでいた七郎右衛門。祖先には、引又初代名主の又兵衛がいる[5]。
慶応2年(1866年)、祖父の七郎右衛門が武州世直し一揆勢に同情的な行動をした(このとき9歳の幼児体験が七十郎のその後に影響したと考えられる。)[6]。
15歳(1872年)ごろから木村二梅、大嶋文について漢学を、皆川四郎と講法学舎などからは法律学を学ぶ。
明治11年(1878年)4月26日、母たつの実家(同姓の三上家)の養子となる。
明治11年(1878年)冬、学問修行のために大阪、奈良(郡山)を遊歴し、各地の自由民権活動家と交流する。
明治12年(1879年)12月、帰郷。
明治13年(1880年)3月、名古屋本町の丸屋治兵衛方に止宿し、愛知県各地を、その後は静岡県各地を遊説する。
明治15年(1882年)3月、岐阜県山県郡にて政談演説会の演壇に立つ。
明治16年(1883年)3月21日、「埼玉新聞」を復刊(社長は兄の八十八(やそはち)、七十郎は編集兼印刷人)。
明治16年(1883年)5月16日、「埼玉新聞」を終刊[7]。
明治20年(1887年)11月、三島義忠、田村匡交らとともに、東京本郷区に「公教書籍出版局」を設立する[2][8]。
明治21年(1888年)3月、『哲学入門』を出版。
(田村匡交 著,三上七十郎 校,公教書籍出版局)
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明治21年(1888年)3月、『彝倫哲学. 第1巻』を出版。 ※ 彝倫(いりん):人が常に守るべき道
(撤頓 (サルヴヮトール・トンジヲルジ) 著,田村匡交 訳,三上七十郎 校閲,公教書籍出版局)
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明治24年(1891年)3月27日、浅草七軒町に転住。
明治25年(1892年)4月、特許・意匠・商標に関する代理業(弁理士)をはじめる (明治32年6月までの約7年間に391件の登録業務を行っている。)[9]。
明治30年(1897年)ごろ、京橋木挽町(こびきちょう)へ転住。
明治39年(1906年)11月、日本橋蛎殻町(にほんばしかきがらちょう)へ転住[10]。
大正7年(1918年)12月、「志木町附近の事ども」を寄稿し掲載される(武蔵野会の機関誌『武蔵野』1巻3号)。
大正8年(1919年)1月、武蔵野会の評議員に選任される。
著書
<日本で最初に和訳されたカトリック系聖書>
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