三井寿讃
From Wikipedia, the free encyclopedia
生家は伊勢国松阪出身で江戸で本両替を営む中川氏。寿讃も江戸で生まれ不自由なく育てられるが、10歳で母と死別し、13歳で上方に上った[2][3][4][1]。15歳の時、高利に嫁ぐ[2][3]。当時の高利は28歳で、母三井殊法への孝養のため、松阪に戻っていた[4][5]。
高利との間に10男5女をもうけ、うち8男3女を育てる[2][4]。義母殊法は「千人に勝れて激しき姑」と評されるほど厳しかったが、殊法の言いつけをよく守って仕え、殊法にも気に入られていたとされる[4][1]。また高利も子に「人これ女房は大黒、男はえびすと心得ろ。妻の心が悪ければ店は潰れる。妻の心が善ければ次第に繁盛する」と言い残すなど、寿讃を評価している[5]。
高利が自らの店を構えて奔走するかたわらで、奉公人はもちろんその親類まで心を配るなど家業に貢献した。その働きをもって長男高平は高利と並ぶ「三井家の元祖」と称している[4]。