三刀屋城

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別名 尾崎城、天神丸城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 不明
築城主 諏訪部扶長
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三刀屋城
島根県
三刀屋城本丸遠景
三刀屋城本丸遠景
別名 尾崎城、天神丸城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 不明
築城主 諏訪部扶長
築城年 承久3年(1221年)か
主な改修者 毛利氏堀尾吉晴
主な城主 三刀屋氏毛利氏堀尾氏
廃城年 不明
遺構 堀、土塁、石垣
指定文化財 島根県史跡
位置 北緯35度17分37.35秒 東経132度52分19.47秒 / 北緯35.2937083度 東経132.8720750度 / 35.2937083; 132.8720750
地図
三刀屋城の位置(島根県内)
三刀屋城
三刀屋城
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三刀屋城(みとやじょう)は、島根県雲南市三刀屋町にあった日本の城1986年(昭和61年)、島根県の史跡に指定された[1]

三刀屋城は、山陰と山陽とを結ぶ街道沿いに位置する交通上の要衝で、尼子方の拠点として尼子十旗の一つに数えられた。

三刀屋城の歴史は旧く、承久3年(1221年)9月4日に出雲国飯石郡三刀屋郷の地頭職に任じられた諏訪部扶長が築城したと伝わる[2][3]。その後、扶長の末裔が三刀屋氏を称し、天正16年(1588年)ごろに三刀屋久扶が領地を没収されるまで、同氏が拠った[3]。次に入郷したのは市川氏であった[3]

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにより、毛利氏が周防長門二ヶ国に減封されると、替って封じられた堀尾氏が入城した[3]。堀尾氏は当初、西方への備えとして三刀屋城を改修して補助的な拠点としようと考えていたが、一国一城令により整備を断念し廃城となったとされる[3]。現存する石垣の大きさから堀尾氏がかなり本格的な改修を行い、三刀屋城を西出雲の拠点としようとしていたことがうかがえる[3]

沿革

脚注

外部リンク

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