港区福崎1丁目と2丁目の間で尻無川から分岐して西流したのち南流し、天保山運河と交差して大阪湾へ注ぐ。西流区間は杉村運河とも呼ばれる。
1829年(文政12年)から1835年(天保6年)頃に池田新田と北福崎新田との間に掘られた堀川で、市岡新田の南部堤下(現・大阪市立港南中学校付近)を起点として南西方に延び大阪湾に注いでいた。元々は三樋(みつひ)堀・三樋入堀とも称された。堀名は新田井路の樋門が三ヵ所あったことに由来する[1]。
戦災復興都市計画によって港区域では2mの盛土(嵩上げ)を伴う土地区画整理事業が実施され、三十間堀川の杉村運河交点以北の区間は埋め立てられた。