尻無川 (大阪府)
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歴史
元は松島公園付近の西区本田1丁目で木津川から南西方向に分流し、千代崎と九条の境を南下して、大正区の西方を通り、大阪湾に流入していた。堤防には櫨(ハゼ)が植えられ、紅葉の名所となっていた。尻無川と木津川の間の中州は寺島と呼ばれ、明治以降に松島遊廓が作られた。
当時の尻無川上流部は川幅18メートル(10間)程で水深も浅く、船の航行に不向きであったので、大正3年(1914年)から大正5年(1916年)にかけて改修工事を行い、下流の川幅を65.4メートル(36間)に広げ、川底を浚渫し、大正9年(1920年)12月には尻無川の中流であった千代崎付近と木津川・道頓堀川合流点とを結ぶ岩崎運河が開削された[2]。
その後、尻無川は船の出入りが増え、一時は木津川を上回るほどであった。第二次世界大戦後は、河口付近の大正内港化工事のため、尻無川は様子を一変させた。
1969年11月25日、ケーソン工法による河川工事現場で事故11人が死亡[3]。
2020年(令和2年)には、河川敷と川岸に近い水上部を利用し、飲食や音楽ライブ鑑賞などができる施設「タグボート大正」が大正駅近くに開業した。同年4月にはユニバーサルスタジオジャパン(USJ)への定期船運航も始まる予定である[4][5]。
