三好徳松
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1870年(明治3年)、筑前国遠賀郡三ツ頭(現・福岡県北九州市八幡西区三ツ頭)に生まれた。
1903年(明治36年)、三好徳松は水巻村にあった休止中の頃末炭坑を譲り受け、三尺坑を開削して三好炭坑に改称した[3][4]。1907年(明治40年)3月、三好は遠賀郡芦屋町にあった休止中の大君炭坑を取得し、第二三好炭坑に改称して操業を開始した[4]。1910年(明治43年)12月、三好徳松は水巻村にあった高松炭坑を買収した[3][4]。1919年(大正8年)1月1日には資本金200万円で三好鉱業所株式会社を設立し、自身が取締役社長に就任した[4]。
炭鉱経営の傍らで、折尾村会議員、折尾町会議員、遠賀郡会議員、遠賀郡会議長、若松瓦斯株式会社取締役を務めた[2]。1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙において福岡10区から立憲政友会公認で立候補して当選した[5]。衆議院議員を1期務め、1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
1929年(昭和4年)11月、事故死した坑夫らを供養するために[6]、郷里の八幡市に三松園遍照院を建立した[7]。この際には遍照院に三好の銅像が建立されたが、銅像は戦時中に金属供出の対象となって台座のみが残っている。1931年(昭和6年)に死去した。
1934年(昭和9年)、妻の三好セキによって三好鉱業所が日本炭礦株式会社に売却され[8]、水巻町の炭鉱は日炭高松炭鉱(日本炭礦遠賀鉱業所)となっている。