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八幡市 (福岡県)

福岡県にあった市 From Wikipedia, the free encyclopedia

八幡市(やはたし)は、かつて福岡県の北東部に存在した市。鉄鋼業を軸に、北九州工業地帯における重工業の中心地として栄えた。1963年2月10日に門司市・小倉市・若松市・戸畑市と合併して北九州市が発足し[1]、消滅した。旧市域は同年4月1日に八幡区として北九州市の行政区となった。

廃止日 1963年2月10日
廃止理由 新設合併
門司市・小倉市・若松市・八幡市・戸畑市 → 北九州市
現在の自治体 北九州市
国 日本の旗 日本
概要 やはたし 八幡市, 廃止日 ...
やはたし
八幡市
官営八幡製鐵所
八幡市章
八幡市章
1922年制定
廃止日 1963年2月10日
廃止理由 新設合併
門司市・小倉市・若松市・八幡市・戸畑市 → 北九州市
現在の自治体 北九州市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 福岡県
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 110.53km2.
総人口 344,893人
(推計人口、1962年10月1日)
隣接自治体 小倉市、戸畑市、若松市、中間市、直方市、遠賀郡水巻町、鞍手郡鞍手町
八幡市役所
所在地 福岡県八幡市大字尾倉(現在の八幡東区中央町)
座標 北緯33度51分49秒 東経130度48分43秒
紫:門司市(現・門司区)
黄色:小倉市(現・小倉北区)
緑:小倉市(現・小倉南区)
橙:若松市(現・若松区)
青:八幡市(現・八幡東区)
黄緑:八幡市(現・八幡西区)
赤:戸畑市(現・戸畑区)
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北九州市の合併五市(以下:旧五市)のうち唯一市域が筑前国(遠賀郡・鞍手郡)と豊前国(企救郡)にまたがっていた。八幡区は1974年4月1日に八幡東区と八幡西区へ分割され、八幡東区がもと遠賀郡と企救郡、八幡西区がもと遠賀郡と鞍手郡にそれぞれまたがっている。

なお、京都府八幡市(やわたし)は本市廃止から約14年9ヶ月後の1977年11月1日に発足した市であり、本市と併存した時期はない。

歴史

旧五市のうち本市は最も人口の多い市だったが、当初の市域である遠賀郡八幡村は旧五市の核となる自治体のうち町制施行が最も遅く(1900年)、西隣の遠賀郡黒崎村のほうが町制施行が早い(1897年)ほどだった。しかし、1901年に日本初の近代製鉄所である官営八幡製鐵所の建設地に選定され、以後はこの八幡製鐵所を軸に工業都市として急速に発展し、「鉄の町」と呼ばれるようになる。1917年に市制を施行して八幡市となった[2](旧五市中4番目)。

太平洋戦争中の1944年6月16日の八幡空襲では、アメリカ陸軍航空軍がB-29を初めて日本本土空襲に投入した。空襲は同年8月20日の空襲以降1年近くなかったが、終戦直前の1945年8月8日の八幡大空襲で大きな被害を受けた[3]。翌8月9日にはアメリカ陸軍航空軍が隣接する小倉市への原子爆弾投下を予定していたが、八幡大空襲で発生した煙が流れ込むなどして小倉市上空が視界不良だったため長崎市への原子爆弾投下に変更したとされる。

製鉄所は戦後も稼働し続け、1949年(昭和24年)に昭和天皇の戦後巡幸が行われた際には、視察先の一つとなった[4]。

行政区域の変遷

人口の変遷

  • 1920年 - 100,235人(九州:3位、福岡県:1位、旧五市:1位)
  • 1925年 - 118,376人(九州:5位、福岡県:2位、旧五市:1位)
  • 1930年 - 168,217人(九州:3位、福岡県:2位、旧五市:1位)
  • 1935年 - 208,629人(九州:3位、福岡県:2位、旧五市:1位)
  • 1940年 - 261,309人(九州:2位、福岡県:2位、旧五市:1位)
  • 1945年 - 151,378人(九州:3位、福岡県:2位、旧五市:1位)
  • 1947年 - 167,829人(九州:7位、福岡県:3位、旧五市:2位)
  • 1950年 - 210,051人(九州:5位、福岡県:2位、旧五市:1位)
  • 1955年 - 286,241人(九州:4位、福岡県:2位、旧五市:1位)
  • 1960年 - 332,163人(九州:4位、福岡県:2位、旧五市:1位)

行政

歴代市長

さらに見る 代, 氏名 ...
歴代市長[6]
代氏名就任日退任日備考
官選
-末弘直方1917年(大正6年)3月1日1917年(大正6年)7月18日臨時市長代理
1末弘直方1917年(大正6年)7月19日1918年(大正7年)9月5日
2堀口助治1918年(大正7年)11月18日1921年(大正10年)12月12日
3永井環1922年(大正11年)1月25日1926年(大正15年)1月24日
4新開渧観1926年(大正15年)3月17日1927年(昭和2年)5月10日
5二木千年1927年(昭和2年)7月11日1928年(昭和3年)1月19日
6図師兼弐1928年(昭和3年)6月21日1932年(昭和7年)6月20日
71932年(昭和7年)6月21日1936年(昭和11年)6月20日
81936年(昭和11年)6月21日1940年(昭和15年)6月20日
91940年(昭和15年)7月10日1942年(昭和17年)4月9日
10内田隆1942年(昭和17年)11月22日1946年(昭和21年)11月21日
公選
11守田道隆1947年(昭和22年)4月5日1951年(昭和26年)4月4日
121951年(昭和26年)4月23日1955年(昭和30年)4月9日
131955年(昭和30年)4月30日1959年(昭和34年)4月29日
14大坪純1959年(昭和34年)4月30日1963年(昭和38年)2月9日
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国の機関

※1962年頃[7]。

主な医療機関

産業

上で述べたように、官営八幡製鉄所およびその後身の日本製鐵八幡製鐵所に代表される重工業を主幹産業とした。戦後(1950年以降)はこの日本製鐵が解体され発足した八幡製鐵と黒崎窯業(現・黒崎播磨)、安川電機などが市内の最有力企業として地域経済を牽引した。なお八幡製鐵が合併により新日本製鐵となったのは北九州市発足後の1970年である(新日本製鐵(株)と住友金属工業(株)は2012年10月に統合し新日鉄住金(株)となり、さらに2019年4月には日本製鉄(株)に商号変更されている)。

戦前から1950年代にかけ、八幡市の中心地は中央町(当時は中央区という呼び方もされた)で、八幡製鐵所の東門があり、西鉄北九州線の枝光線との分岐点にもなっていたことから、当時は福岡県内では第3位争いをしていた小倉市、戸畑市、門司市、久留米市をも上回る、県庁所在地で県内第1位の福岡市に次ぐ県内第2位の都市として、非常に栄えていた。また八幡市に編入された黒崎(旧黒崎町)・折尾(旧折尾町)地区では商業が発達した。特に黒崎は1970年代初頭より一大商業地となり、北九州市の副都心と位置づけられた。

スポーツチーム

出身有名人

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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