三好盛長 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 不詳死没 不詳別名 三好民部丞、成長 凡例三好 盛政時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 不詳死没 不詳別名 三好民部丞、成長官位 民部丞幕府 室町幕府主君 三好実休→三好康長→三好長治→三好義継氏族 三好氏テンプレートを表示 三好 盛長(みよし もりなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。盛の誤字で成長と記される場合もある。三好一門として三好政権に参画した。 永禄4年(1561年)4月に畠山高政と六角義治が同盟し三好氏に対抗するようになると、畠山氏討伐軍の総大将として三好実休が選ばれた。実休は8月1日に和泉国岸和田城に入城し、盛政は安宅冬康・三好康長・三好宗渭・三好盛政・篠原長房・吉成信長らと共にこれに従った[1]。 永禄5年(1562年)8月には三好康長を筆頭に篠原長秀・加地盛時・矢野虎村・吉成信長・三好盛政と共に聞名寺の寺内特権を承認している。同11月29日には河内国高屋城衆として篠原長安・加地盛時・三好康長・矢野虎村・吉成信長・三好盛政・市原長胤・鶴沢長綱と共に「水魚の思」で三好長治を補佐する旨の連署状を残している[1]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 出典 1 2 秋永政孝『三好長慶 (日本の武将 ; 38)』(人物往来社、1968年) 関連項目 久米田の戦い 畿内・近国の戦国時代 Related Articles