三宅哲一郎
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和歌山県出身。神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を経て、1911年(明治44年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業した。1914年(大正3年)、外交官及領事官試験に合格。領事官補・関東都督府事務官、領事、公使館三等書記官、外務事務官・参事官、外務書記官・条約局第三課長、公使館二等書記官、同一等書記官などを歴任し、その間、スウェーデン、オランダに勤務した。バタヴィア総領事時代には、横浜正金銀行に学校設立を働きかけたり、シムラ会商に政府代表として参加し、イギリス、インドと通商問題の交渉を行うなどした[3][4]。1936年(昭和11年)に駐チリ公使に就任。1937年(昭和12年)にはチリ政府からイースター島及びサラ・イ・ゴメス島の売却を検討中との打診を受け検討を行った[5]。退官後は1940年(昭和15年)に日智協会(日本チリ協会)を設立し、郷里紀伊徳川家の徳川頼貞を会長に奉じ、自身は副会長に就いた[6]。