三宝寺 (練馬区)
東京都練馬区にある真言宗智山派の寺院
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概要
歴史
応永元年(1394年) に鎌倉・大楽寺の幸尊法印(?-1398)によって開かれた。場所は現在石神井池の傍にある禅定院付近であったとされる。当初の本尊は勝軍地蔵であったとされ、当地を領する豊島氏の祈願寺として、石神井城とともに築かれたものと考えられている[注 1]。文明9年(1477年)の江古田・沼袋原の戦いで豊島泰経らは太田道灌に破れて滅び、太田道灌が当寺を石神井城趾の現在地に移したとされている。
その後も、天文16年(1547年)に後奈良天皇から勅願所の綸旨を受け、天正年間には後北条氏から禁制や寺領安堵を、天正19年(1591年)には徳川家康から10石の朱印地を受けるなど、広く尊崇を集めていた。江戸時代には無本寺・独礼の寺格で遇され、塔頭6寺院(教学院、禅定院、観蔵院、最勝寺、正覚院、薬王院)、末寺は50以上の大寺院であった。真言宗の教学上も関東十一談林のひとつに数えられていた。寛永2年(1625年)と正保元年(1644年)に徳川家光の鷹狩の休息所となったことから、山門を御成門と称することとなった。
明治維新後、神仏分離や寺領上地によって縮小を余儀なくされ、明治7年3月6日(1874年4月21日)には火災により堂宇を焼失、これによってほとんど荒廃してしまう。1919年(大正8年)になってようやく本堂再建の計画が立ったが、関東大震災や太平洋戦争の影響で工事は遅れ、本堂落慶は1953年(昭和28年)である。
境内
- 本堂
- 1922年(大正11年)着工、1929年(昭和4年)上棟、1953年(昭和28年)落慶。
- 大師堂(奥の院)
- 1973年(昭和48年)改築、1990年(平成2年)移建。
- 御成門
- 1827年(文政10年)建立の山門。境内最古の建築物。徳川家光が鷹狩りで立ち寄ったことに因み御成門と称する。
- 鐘楼堂
- 1973年(昭和48年)改築。梵鐘は1675年(延宝3年)の鋳造で練馬区指定文化財。
- 長屋門
- 観音堂
- 「守護使不入」の碑
- 田島鉄平君之碑(養蚕・製糸)
根本大塔
一層目が方形、二層目が円形の、高さ17メートルの木造多宝塔である。開創600年記念事業として発願され、1996年(平成8年)落慶[4]。根本大塔とは「根本本尊大毘盧遮那如来法界体性塔」の略で、真言密教の教主である法身大日如来を象徴する塔のこと[5]。
平和大観音像

高さ9mの十一面観音像。根本大塔と同じく開創600年記念事業として発願されたもの[5]。大晦日、初詣の時節などにライトアップされる。
大黒堂・地蔵堂

大黒堂は第33世融憲法印が三宝寺復興を祈願して1929年(昭和4年)に創建し、古来より祀られてきた千体地蔵を合祀したもの[6]。現在の大黒堂は甲子にあたる1984年(昭和59年)に改築したもので、地下には独立した地蔵堂を設けている[7]。地蔵堂には地蔵仏と祭壇があり、その周りは無数の小さい木彫り地蔵像と、巨大な壁画「六道曼荼羅」(天国地獄絵図、染川英輔画伯作)が設置されている。