三平晴樹
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秋田市立土崎中学校卒。秋田商では、エース三浦清(慶大-日本石油-大昭和製紙)の控えにとどまる。1年上に嵯峨健四郎、1年下には佐々木吉郎がいたが、在学中に甲子園には届かなかった。
1957年の産業対抗野球に出場、東洋紡富田から大会新記録となる15三振を奪い一躍注目を浴びる。
1958年に大毎オリオンズに入団。1年目から一軍に上がり6月には先発として起用される。7月12日には近鉄の伊藤四郎と投げ合い初完封勝利を果たした、1960年には初の2桁勝利となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献、規定投球回(防御率リーグ10位)にも達する。大洋ホエールズとの日本シリーズでは第3戦に先発するが打ち込まれ2回途中3失点で降板、第4戦では中継ぎとして起用された。
1960年の朝日新聞には当時売り出し中の張本勲がその速さを絶賛する記事が記載されている。
1961年も自己最多となる14勝を記録、小野正一とともに左腕の二本柱として活躍した。
1962年は故障もあって登板機会が減少。
1964年は阪急ブレーブスに移籍、9月1日には西鉄を相手に先発し7回を2失点と好投し勝利投手となる。同年は3勝を挙げ復活の兆しを見せる。
1966年限りで現役を引退した。
引退後は実業家に転身した。