三木天遊
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1875年3月12日、兵庫県赤穂市加里屋に、省六・恒子夫妻の次男として生まれる。
1879年に大阪へ移り、大阪府立北野中学校を経て、1894年に東京専門学校に入学。在学中に『早稲田文学』をはじめとした各新聞・雑誌で詩を発表する。後に病気のために退学。
1897年、浪華青年文学会の客員として、機関誌『よしあし草』に寄稿された詩の選者となる[1]。1900年3月、須藤南翠、水谷不倒、菊池幽芳などと関西文学同好会を結成する。この頃から詩集『心の山川』(後に『秋海棠』に改める[2]。)の制作が始まる[注釈 1]。1909年3月発行の『新小説』を最後に文壇から退く[3][注釈 2]。
その後も兄・保吉とは連絡を取っていたが、関東大震災を境に音信が途絶え、行方不明となる。親族や友人知人が手を尽くすも、数年絶ってなお消息が分からなかったため[注釈 3]、遺族は関東大震災があった1923年9月1日を命日とみなす。