三橋辰雄

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三橋 辰雄(みつはし たつお、1923年 - 2001年12月26日)は、日本の政治活動家革命家芸術家盛李春(せいりしゅん)、真木陽(まきよう)、牧洋(まきよう)などの筆名がある。三橋派「緑の党」の創設者・イデオローグであり、「神なき宗教家」を自認した。

青森県西津軽郡館岡村生まれ。1944年応召1945年捕虜としてカムチャツカにて抑留される。「緑の党」機関紙『日本新聞』の名称は、シベリア抑留者の中で広く読まれた『日本新聞』に由来している。

1950年より、中学教諭をつとめる傍ら、日本共産党日本教職員組合の活動に参加。しかし1960年代に共産党を離党。教育サークル「あすなろ会」や弘前大学で「生活綴方教育研究会」を組織して活動。

各種のコンクールで賞を受けたことを自画自賛していたことから、日本共産党に「コンクール教育」と罵倒された。1979年11月19日、のちの『日本新聞』の前身である『みちのく新聞』発行人となる。日本労働党中央委員を歴任し、1980年衆議院選では、日本労働党公認を受けた対馬テツ子応援演説を行なった。

人物

  • 尊敬する人物はエンゲルス毛沢東であり、事実毛沢東思想を賛美していたが、毛沢東思想と三橋の思想とは、まったく異なるものである。
  • 曽祖父は宮司であり、三橋はこの曽祖父の娘である祖母を深く敬愛していた。三橋の家庭は複雑なものであったらしい。三橋の世界観は、この祖母によることが大きい。
  • 数多くの歌を作詞・作曲しており、その多くは荒野座のコンサートなどで歌われている。
  • 赤羽牧洋記念クリニック院長、三橋牧は、彼の実子であり、父と同じく「緑の党」イデオローグである。「竜の医学」なるものを主張し、荒野座による健康コンサートを推奨している。

世界観・歴史観

著書

関連サイト

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