三段崎紀存 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 生年不詳死没 没年不詳別名 勘解由左衛門 凡例三段崎 紀存時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 生年不詳死没 没年不詳別名 勘解由左衛門主君 朝倉氏氏族 三段崎氏テンプレートを表示 三段崎 紀存(みたざき ただあり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。朝倉氏の家臣。通称は勘解由左衛門。 三段崎氏は朝倉氏の同名衆で、第3代当主・朝倉氏景の弟、三段崎弼景を祖とする[1]。 『 朝倉始末記』では永正3年(1506年)の加賀一向一揆迎撃の朝倉勢の中に「三段崎衆」として見えるが、その後、三段崎氏は朝倉景紀に従って敦賀に移ったという。また、天文16年(1547年)ごろから永禄11年(1568年)ごろまで敦賀奉行を務めた[2]。 元亀元年(1570年)4月、織田信長が敦賀に侵攻した際、これを迎撃した朝倉方は多くの武将を失ったが、この中には三段崎弥七・同四郎左衛門などの紀存の一族の名が見える[1]。 この時、郡司の朝倉景恒は城を捨てて落去したが、紀存だけは最後まで城に踏みとどまり、織田方に捕らえられた。しかし、浅井氏の離反によって織田勢は越前から退去せざるを得なくなり、捕虜となった紀存は若狭まで同道させられたが、「武士は相互也」として釈放されたという(『朝倉始末記』)[1]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 山本大、小和田哲男 編『戦国大名家臣団事典 西国編』新人物往来社、1981年8月25日、376頁。ISBN 9784404010766。 ↑ 阿部猛、西村圭子 編『戦国人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月10日、746頁。ISBN 4404017529。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks