三河仏壇
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歴史
三河地方に浄土真宗が伝播したのは鎌倉時代のことだった。その教えは室町時代、広くこの地方の民衆の間に根付きはじめ、仏壇の製造がはじまった。徳川家康の生誕地でもあった現在の岡崎市は幕府の庇護を受け、仏教の発展とともに仏壇の一大製造地として発達していった。岡崎市には、愛知・岐阜・長野の県境に流れを発し知多湾まで、全長およそ117kmに及ぶ一級河川矢作川が流れている。もともと小さな支流の集まりであったこの川は、徳川家康の命で治水事業を推進したことにより、水運の要衝となった。矢作川を伝い上流から流れ着く松や杉、檜などの木地に加え、三河北部で良質な漆が採取されていたこと、三河地方には高度な鋳造、鍛造技術が伝わっていたことなど、仏壇製造にとって好条件が揃っていた岡崎の地で、1704年(元禄17年)、仏壇師であった庄八家が三河仏壇の製造をはじめた。
製作工程
1.木地造り
三河仏壇は、8つの製作工程を経て完成する。それぞれを担当する職人を総称して「八職」と呼ぶが、そのうち木地師が手掛ける最初の工程を「木地造り」という。木地造りでは、木取りした約30 の部品をほぞ組して仏壇の外郭を作る。ほぞ組の際、にかわなどを塗って合わせたはぎ板を炭火で炙って締め付ける「はぎ付加工」という独特の技術を用いるのは、三河仏壇ならではの特徴です。
2.宮殿(くうでん)造り
仏壇の外郭ができあがったら、次は宮殿師による「宮殿造り」である。宮殿とは仏像や仏会を安置する木地の中央部分をいい、屋根、柱、須弥壇などから成っている。宗派によって、荘厳(しょうごん)造り、宮殿御坊様(ごぼうよう)、禅宗桝造り、堂造り宮殿と、それぞれ造りが異なる。三河仏壇は台が低く作られていることから、この工程で内陣に豪華さが出るよう工夫される。
3.彫刻
彫刻師がうねり長押(なげし)の上部、宮殿の内部にあたる部分などに彫刻を施していく。彫刻で描かれるのは花や鳥、唐草、龍など、宗派ごとに異なる仏界の模様で、材料となる檜や紅松などに下絵を写したあと、荒彫り、中彫り、仕上げ彫りの順に彫り進めていく。三河仏壇は彫刻にも特徴があり、障子の中央部分には「花小彫」と呼ばれる花模様が描かれている。
4.塗り
塗りは、塗師が木地に漆塗りを施す工程。ここではまず、砥の粉下地を木地、宮殿、彫刻に塗り、乾燥させる。次に水を引き、砥石で磨き上げて下地を作る。下地ができあがったらその上に刷毛で漆を塗り、再び乾燥させたあと駿河炭で水研ぎをします。それぞれ部位によって、箔押し漆、呂色(ろいろ)漆、塗立漆を使い分けます。
5.錺金具(かざりかなぐ)造り
仏壇に取り付ける錺金具を作る工程は金物師が請け負う。内側部分に取り付ける錺を内金具、外部分になるものを外金具と分け、それぞれの職人がノミと金槌を使って模様を描く。戸当りなどに付いている毛彫(けぼり)金具が立体的に見えるよう、浮き出し法を使うのは三河仏壇の特徴である。
6. 蒔絵
塗りの工程で漆塗りされた部分に金粉などで絵を描くのが蒔絵(まきえ)である。まず絵漆を塗り、十分に乾燥しないうちに図柄に従って金粉、銀粉、アワビの青貝などを蒔きつけていく。泥盛り蒔絵、平蒔絵、箔下蒔絵など様々な技法があるが、中でも「泥盛り蒔絵」は、下絵に沿って泥を盛り該当部分に立体感を出すという、蒔絵師の熟達した技が要求される作業だ。
7.箔押し(はくおし)
箔押(はくおし)の工程では、押漆(おしうるし)という漆をむらなく塗り、綿で拭きとった部分に、箔箸で金箔を1枚1枚押していきます。金箔を押した部分に柔らかな綿をあて、余分な金箔を拭きとって完成。
8.組立
三河仏壇の最後の工程となるのが、組立師による組立である。ここまで7つの工程を経たそれぞれの部品を、錺金具、宮殿、彫刻、天井、胴、内回りの順に組み合わせていく。形が整ったら不具合がないか確認し、布で拭き上げて完成。