三河別院挙母支院
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近世
もとは浄土宗の説教所だったが、真宗大谷派が譲り受けて挙母説教所となった。挙母説教所は現在地より約450メートル北東(現・豊田市喜多町4丁目)にあったが、元治元年(1864年)に火災で焼失した[3]。
近代
明治初頭には安長寺を手継とする説教所の建設が計画されたが、西南戦争の混乱などもあって進まなかった[3]。1878年(明治11年)には本堂の再建に取り掛かると、1882年(明治15年)に本堂が再建され[3]、安長寺説教所となった[1]。やがて西加茂郡力石村(現・豊田市力石町)の如意寺の末寺となったが、1884年(明治17年)には本山の直轄説教所となった[3]。
1894年(明治27年)11月には西加茂郡矢並村(現・豊田市矢並町)の民家を移築して庫裡とした[3]。1922年(大正11年)には昇格して大谷派挙母支院となった[3]。1942年(昭和17年)には宗教団体法の認可を得た[1]。
現代
1951年(昭和26年)には宗教法人として認可され、岡崎市の真宗大谷派三河別院を冠した三河別院挙母支院に改称した[3]。