中学時代は4番・三塁手として大阪府大会で優勝[1]。
泉州高時代に外野手に転向し、通算40本塁打を打った[1]。
1987年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから6位指名を受け入団[1]。
俊足巧打の選手としてファームではまずまずの成績を残していたが、当時黄金期の真っ只中だったチームの選手層は厚く長らく一軍出場はなかったが、黄金期終了後の1995年にようやく一軍出場を果たす。しかし、同年限りで現役を引退した[1]。
現在は、若獅子寮(西武の若手選手寮)の副寮長、二軍育成などの担当をしている[1]。
娘の咲葵は法政大学野球部マネージャーとして東京六大学野球の場内アナウンスを担当し、卒業後の2025年4月より東北放送にアナウンサーとして就職、5月にデビューを果たしている[2]。