上中里
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| 上中里 | |
|---|---|
| 町丁 | |
|
攻坂 | |
北緯35度44分47秒 東経139度45分06秒 / 北緯35.746314度 東経139.751753度 | |
| 座標位置:JR東日本尾久車両センター付近 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 特別区 |
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| 地区 | 滝野川地区 |
| 人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]) | |
| 人口 | 6,587 人 |
| 世帯数 | 3,787 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.591770127 km² | |
| 人口密度 | 11131.01 人/km² |
| 郵便番号 | 114-0016[3] |
| 市外局番 | 03(東京MA)[4] |
| ナンバープレート | 練馬 |
上中里(かみなかざと)は、東京都北区の町名。現行行政地名は上中里一丁目から上中里三丁目。全域が住居表示実施済み区域である。
地価
東京都北区の南東部に位置し、滝野川地区内に当たる。東は東田端、南は中里および西ケ原、西は西ケ原および栄町、北は堀船および昭和町、わずかに荒川区西尾久と接する。
町内の中央を南西から北東に向かってJR東日本京浜東北線(路線名称は東北本線)、湘南新宿ライン(路線名称は山手貨物線)、東北新幹線が、北東辺には東北本線の尾久支線が、さらに北西辺には都電荒川線の線路が走っており、京浜東北線・尾久支線・都電荒川線それぞれ1駅ずつが町内に存在する。
京浜東北線の電車が走る線路を境にして南側の一丁目は武蔵野台地に属する高台であり、一方北側の2丁目 - 3丁目は隅田川沿いの低地に当たる、下町に分類される地域である。この間を結んでいる、瀧野川女子学園前からJR上中里駅前を通り、左に湾曲しながら平塚神社脇に上っていく坂は、蝉坂[5]あるいは攻坂[6]と呼ばれる。坂下に当たる二丁目・三丁目はいずれも住宅と工場が混在する地域であるが、北東部の大部分はJR東日本尾久車両センターの敷地となっている。尾久車両センターの北西にある梶原踏切は開かずの踏切で死亡事故が何度か発生していた[7][8]。そのため、地元から従来の跨線橋を改築して欲しいとの要望が上がり、1998年(平成10年)9月2日に日本国内では初めて屋根およびエレベーター両方が設置された跨線橋「上中里さわやか橋」として開通した[7][8]。
住宅地の地価は、2025年(令和7年)1月1日の公示地価によれば、中里1-26-10の地点で70万4000円/m2となっている[9]。
歴史
1889年(明治22年)の町村制施行時点における北豊島郡滝野川村(1913年に町制施行し滝野川町へ)大字上中里が現在の上中里一 - 三丁目の由来である。滝野川町は1932年(昭和7年)に東京市へ編入され滝野川区へ移行し、大字上中里は上中里町となる。1947年(昭和22年)に滝野川区は王子区と合併し北区が成立。その後1953年(昭和28年)に町名整理により上中里町の一部が上中里一丁目・二丁目となった。
1965年に住居表示が実施され、上中里一丁目・二丁目をそのまま継承し改めて上中里一丁目・二丁目が成立、1966年には上中里町の残部にも住居表示が行われ上中里三丁目が成立。上中里町は廃止された。
沿革
町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前 |
|---|---|---|
| 上中里一丁目 | 1965年(昭和40年)7月1日 | 上中里一丁目 |
| 上中里二丁目 | 上中里二丁目 | |
| 上中里三丁目 | 1966年(昭和41年)2月1日 | 上中里町 |
地名の由来
世帯数と人口
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 上中里一丁目 | 1,450世帯 | 2,766人 |
| 上中里二丁目 | 1,634世帯 | 2,570人 |
| 上中里三丁目 | 703世帯 | 1,251人 |
| 計 | 3,787世帯 | 6,587人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[10] | 7,176 |
| 2000年(平成12年)[11] | 6,859 |
| 2005年(平成17年)[12] | 6,751 |
| 2010年(平成22年)[13] | 6,578 |
| 2015年(平成27年)[14] | 6,532 |
| 2020年(令和2年)[15] | 6,654 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[10] | 3,157 |
| 2000年(平成12年)[11] | 3,171 |
| 2005年(平成17年)[12] | 3,230 |
| 2010年(平成22年)[13] | 3,271 |
| 2015年(平成27年)[14] | 3,395 |
| 2020年(令和2年)[15] | 3,565 |
