先祖は前漢の上官桀とされ、霍光との権力争いに敗れ、処刑された後に生まれた子の末裔であるとされる。
上官勝の明確な活躍は残っていないものの、蜀漢での位は三公の一つである太尉にまで登ったとされている[1]。
三国志の記述では、蜀において三公に就任した人物は、司徒であった許靖しかおらず、以降三公が置かれた形跡はない[2]。
しかし蜀志・甘皇后伝にて諸葛亮の上表文の中に「臣は太尉に要請し宗廟に報告させ、天下に宣布いたさせます。」と言った一文もあり、陳寿の誤字や情報の誤りなどでなければ、太尉に就いた人物がいたと考えられる[3]。