上岩橋
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歴史
江戸期は上岩橋村であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。ただし、享保年間からの新田(林畑)分は幕府領。村高は、「元禄郷帳」648石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに695石余。元禄14年差出帳によれば、反別田53町7反余・畑22町9反余・屋敷8反余、とらふ竹藪1か所、家数68、小物成として栗代永68文・茶代永7文・野銭永100文山銭京10貫973文のほか、糠・藁・縄を納め、千石夫・御用薪・伝馬役などを負担している(福田家文書/酒々井町史史料集1)。村内には上郷・大崎・卜ケ崎・大鷲の4集落に分かれている。成田街道が村内の南北に縦貫していて、当村は酒々井宿の助郷村であるとともに、街道沿いの卜ケ崎には間(あい)の宿として水茶や・旅籠などがあった。佐倉牧の野付村で、毎年酒々井の野馬御払場の土手修理が課せられた。神社は駒形神社・菊賀神社・大鷲神社、寺院は日蓮宗妙楽寺・真言宗長福寺。明治6年千葉県に所属。同14年妙楽寺を仮校舎として岩橋学校が開校、同18年中川学校を合併。明治22年酒々井町の大字となる[4]。
年表
世帯数と人口
小・中学校の学区
町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 酒々井町立酒々井小学校 | 酒々井町立酒々井中学校 |