上川島
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名称
地理
歴史

明初の洪武年間には定住者がいたという[2][3]。 弘治12年(1499年)に川山群島は新会県の管轄となり「穿洲」と呼ばれ[3]、2つの主要な島が「上川洲」「下川洲」と呼ばれるようになった[3]。
1513年に初めてポルトガル人が中国に到達した。上川島はポルトガル人がマカオ(澳門)に定住する以前、中国沿岸で最初期に拠点とした場所の一つである。ポルトガル人が最初に築いた貿易拠点のタマン(Tamão) について、上川島に比定する説がある[4]。
1552年9月、イエズス会士のフランシスコ・ザビエル(のちに列聖)は上川島に到着し、広州に渡る船を待っていたが、同年12月3日に島で病没した。その墓は島の北部にある大脳山の西麓にある。
ポルトガル人は1540年代末から1560年にかけ、上川島からランパカウ (Lampacau) 、次いでマカオへと拠点を移した[5]。この時期については「ランパカウ」(浪白滘、浪白澳、浪白竈とも。ランパカオ Lampacao とも)の位置なども含め諸説がある[5][6]。『台港澳大辞典』によれば、ポルトガル人は1553年に上川島を放棄したという[5]。
清の嘉慶年間には、紅旗幇を率いた海賊の張保(張保仔)が、上川島の沙堤港を主要な基地とした。張保は瓊州海峡を扼し、東は香港から西は広州湾まで多くの島を支配したと言われる。張保が宝を埋めたという伝承地が上川島に十数か所ある[7]。
経済
島の東海岸にある飛沙灘旅游区(飞沙滩旅游区)はビーチリゾートとして開発されている。
島の南部にある沙堤は、広東省三大漁港の一つとされる。
