フランシスコ・ザビエルの死

From Wikipedia, the free encyclopedia

製作年1771-1774年ごろ
寸法56 cm × 42 cm (22 in × 17 in)
『フランシスコ・ザビエルの死』
スペイン語: La muerte de San Francisco Javier
英語: Death of Saint Francis Xavier
作者フランシスコ・デ・ゴヤ
製作年1771-1774年ごろ
種類キャンバス上に油彩
寸法56 cm × 42 cm (22 in × 17 in)
所蔵サラゴサ美術館英語版サラゴサ

フランシスコ・ザビエルの死』(フランシスコ・ザビエルのし、西: La muerte de San Francisco Javier: Death of Saint Francis Xavier) は、18-19世紀のスペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤが1771-1774年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した絵画である。ゴヤの親族のために個人祈祷用の絵画として制作された[1][2]。その後、作品はゴヤの親族 (母方の家系) に継承された[1][2][3]が、1929年にスペインのサラゴサにあるサラゴサ美術館英語版に取得され[1][2]、現在、同美術館に展示されている[1][2][3]

本作はサラゴサ美術館に収蔵された当初、『聖ヤコブの身体の発見(Invención del cuerpo de Santiago)』という題名であった。この題名は聖人の身に着けている外套と肩から下がっている貝殻聖ヤコブを特定するアトリビュート)のためであった。しかし、外套の下に聖人はイエズス会の衣服を着ており、イエズス会士であることがわかる[2]

この人物はインド東アジア布教をし、後に列聖されたフランシスコ・ザビエルスペイン語でハビエル)で[1]、衣服の右肩に見える海扇章、赤いカニの紋章はザビエル像特有のものである[3]。彼はゴヤの親族の間では信仰の対象であったため、しばしばその名前は子供にもつけられた[1]。ゴヤ自身、フランシスコという洗礼名を与えられている一方、息子にはフランシスコ・ハビエルと名づけている[3]

ゴヤ『ピラールの聖母』 (1772-1775年ごろ)、サラゴサ美術館

本作は1552年12月3日に中国上川島で死んだザビエルの死を表しており[1][2][3]、彼に関するいくつかの伝記の記述にもとづいている[1]。ザビエルは日本での布教後[1]、中国人と交易していたポルトガル人に上川島に放置され、死んだ[2]。画面下部右側の背景には船が見える。瀕死の聖人は2人の天使が見守る中、ヤシの葉で造られた囲いの中に横たわっている。その顔は青ざめ、イグナティウス・デ・ロヨラから与えられた[3]木製の十字架を両手に握りしめつつ、天を仰いでいる[1][2][3]

画面は明快に上下2つの部分に分けられており[2]、聖人のいる地上の世界と、彼の魂が向かうことになる天上の世界が対比されている[1]。作品の構図はニコラ・ベルトゥッツィ(Nicola Bertuzzi)の素描に非常に類似しているが、その素描は、18世紀半ばに修道士ビセンテ・ピグナテリ(Vicente Piganatelli)からサラゴサの素描学校に寄贈されたものである。ゴヤは、この素描学校で最初に訓練を受けている[1]

本作は素早く流麗な筆致で描かれている。一方で、光の当たっている顔と手は際立っており、暗色の上の光が画面に奥行き感を与えている[2]。この絵画は来歴、画面のサイズ、天使の類似性により、同じくサラゴサ美術館に所蔵されるゴヤの『ピラールの聖母[4]の対作品であると考えられる[2]

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI