犬懸上杉氏庶流四条上杉氏・上杉持房の子として誕生。
上杉禅秀の子である父・持房は、禅秀の弟で四条上杉氏・上杉氏朝の養子となっていたため、教房も父や氏朝と共に京都の足利将軍家に仕えた。6代将軍・足利義教から偏諱を受け、「教房」と名乗る。
享徳3年(1455年)から享徳の乱が始まると、教房も上杉朝房の系統で同族である越後国守護・上杉房定に従って、嫡子の政藤と共に武蔵国にいた関東管領・上杉房顕の救援に向かった。
長禄3年(1459年)10月14日、教房は上杉軍の一員として、古河公方・足利成氏の軍と武蔵国太田荘会下で戦った。だが、翌15日に上野国佐貫荘海老瀬口で古河方によって討たれた(太田荘・佐貫荘の戦い)。