上杉藤王丸
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父である朝良が亡くなった日に誕生したといわれており[1]、以前より名目上の家督継承者であった甥の上杉朝興(藤王丸のいとこ)が名代の名目でそのまま家督の座を継いだ。
その事績については不明であるが、『快元僧都記』によれば、15歳になった天文元年12月に上杉朝興によって武蔵国江戸で殺害されたと記されている。これは朝興が扇谷上杉氏の家督を保持するために正当な後継者である藤王丸を殺害したとされているが、天文元年当時の江戸は扇谷上杉氏と対立する後北条氏の支配下にあること、『快元僧都記』の記述も本文ではなく、後に記された追記部分に書かれていることから、快元自身の記述かという問題がある。
この問題についてはいくつか説がある。佐脇栄智はこの記述自体が後世の加筆で実際にあった事件であったかを疑問視する[1]。黒田基樹は何らかの事情で敵地である後北条方にいたものとし、殺害をしたのも朝興ではなく後北条氏であったと推定している[2]。