上水流洋

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1954-03-08) 1954年3月8日(71歳)
身長
体重
178 cm
74 kg
上水流 洋
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県鹿児島市
生年月日 (1954-03-08) 1954年3月8日(71歳)
身長
体重
178 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1972年 ドラフト3位
初出場 1976年4月23日
最終出場 1982年8月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ヤクルトスワローズ (1983 - 2001)

上水流 洋(かみずる ひろし、1954年3月8日 - )は、鹿児島県鹿児島市[1]出身の元プロ野球選手投手。右投右打)、コーチ、飲食店経営者

鹿児島商工高校では2年生の時、エースとして1970年夏の甲子園に出場。1回戦で江津工三沢淳に完封され敗退[2]。翌1971年春季県大会準決勝では、大口高を相手にノーヒットノーランを達成。九州大会では準決勝に進むが、津久見高橘健治と投げ合い0-1で惜敗。同年夏の県大会では準々決勝で加治木工に敗れる。高校の1学年下に岩下正明がいた。1971年ドラフト近鉄バファローズから5位指名されるも入団拒否[1]

卒業後は社会人野球住友金属へ進む[1]山中正竹、宮崎寛、川端理史など投手陣の層が厚く、なかなか大舞台は踏めなかった。

1972年ドラフトヤクルトアトムズに3位指名で入団した[1]1976年4月23日の対広島戦で一軍初登板を果たすも、第一打者の衣笠祥雄にホームランを打たれる。その後も伸び悩み、未勝利のまま1982年限りで現役引退。オーバースローからのカーブシュートチェンジアップフォークが武器だった。

1983年は打撃投手を務め[3]、翌年から一軍トレーニングコーチへ就任。監督の野村克也からの信頼も厚かった[4]2001年、ヤクルトが5度目の日本一を果たしたのと同時に退任。

2002年より、東京都港区新橋にて薩摩料理店「さつま料理 かご」を経営している。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1976 ヤクルト 31000010--.000235.042301500635.401.40
1980 92000020--.0007819.017670015001383.791.26
1982 30000000------122.1312003003313.502.14
通算:3年 153000030--.00011326.12491201230022144.851.37

記録

  • 初登板:1976年4月23日、対広島東洋カープ3回戦(明治神宮野球場)、9回表に6番手で救援登板・完了、1回1失点
  • 初奪三振:同上、9回表に三輪悟から
  • 初先発:1976年10月12日、対広島東洋カープ24回戦(明治神宮野球場)、3回5失点(自責点2)で敗戦投手

背番号

  • 43 (1973年 - 1982年)
  • 88 (1983年 - 2001年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI