上沢謙二
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1890年に栃木県上都賀郡東大芦村(現 鹿沼市)に生まれる。地元の引田尋常小学校および高等科を卒業して上京。日本銀行に見習いとして採用される。1907年、日本基督教団日本橋教会で洗礼を受け、以後、キリスト者の道を歩む。1919年に結婚した後に日本銀行を退職、アメリカ合衆国へ留学する。1923年にワシントン州立大学教育学部卒業後、帰国。子供之友編集主任、日本キリスト教文化協会長などを歴任する。1938年、洗足幼稚園の経営を引き継ぐが、戦局の悪化に伴い1944年に休園。やがて1945年3月の東京大空襲により幼稚園が焼失し、郷里に疎開させていた家族のもとへ戻る。
戦後、鹿沼を拠点にしつつも上京し、日本日曜学校協会主事、婦人之友社編集担当を引き受け、一方でキリスト教児童文学としての口演童話、幼児童話などを執筆し始めた。1952年頃には地域からの要請を受ける形で鹿沼幼稚園の園長に就任。加えて地域の様々な職の要請も入り、栃木県労働委員会会長、労働争議斡旋委員など地方自治体がらみの仕事も引き受けた。教育関係では東京家政大学教授、川村短期大学講師も務め、鹿沼と東京を往復する多忙な生活をしながら執筆、編集作業を続けた[1][2]。1957年(昭和32年)には「日本児童文学者協会鹿沼支部」を創設、同支部は1961年(昭和36年)に「河鹿の会」と改名し、現存する[3]。1960年、日本児童文芸家協会から児童文化功労者として表彰を受ける[4]。
著作・編集・原案
- 『うみやまがっせん』(福音館書店)
- 『3びきのこどものひつじ』(福音館書店) 1984年
- 『世界クリスマス伝説集』(編、中央出版社) 1965年
- 『クリスマス童話伝説集』(編、ヨルダン社) 1965年
- 『クリスマスのほし』(案、福音館書店) 1964年
- 『保育のための童話学』(恒星社厚生閣) 1963年
- 『ママのお話 : 話し方・作り方』(大日本図書) 1963年
- 『2〜3才の幼児のためのママのお話:話し方・作り方』(大日本図書) 1963年
- 『新幼児ばなし三百六十五日』(恒星社厚生閣) 1963年
- 『三にんのおうじ:あべこべばなし』(編、大日本図書) 1963年
- 『新保育読本』(フレーベル館) 1957年
- 『保育のための童話学』
- 『いま、ここ保育』(恒星社厚生閣) 1955年
- 『母のための赤ちゃんばなし』(厚生閣) 1942年
- 『耶蘇伝』(洛陽堂) 1916年