1926年に藤永田造船所で製造された目黒蒲田電鉄→東京横浜電鉄モハ100形101 - 112を出目としている。製造当初は目黒蒲田電鉄(東急目蒲線の前身、現在は東急目黒線・東急多摩川線に分割)車籍であったが翌1927年に東京横浜電鉄に転籍している。1942年の東京急行電鉄(大東急)発足によりデハ3100形3101 - 3112と改番している。
新造当時は全長15メートル・窓配置1D6D6D1の一段下降式の側窓、集電装置はパンタグラフとダブルポールで、半鋼製電車でありながらトラス棒を装着していたが、後の更新で窓配置が2D5D5D2に変更、側窓が2段上昇式となりダブルホール・トラス棒が撤去されている。また、3101- 3109は全長が16メートルに延長され、半室両運転台の全室片運転台化も行われ、昇圧の際にサハ化された。1958年に東急は上田丸子電鉄の増資分を肩代わりした事により、同社を系列企業に入れた。この縁で両運のままサハ化されていなかった未改造の3110 -3112が上田丸子に譲渡される事になった。入線させるにあたり、扉の位置を変更する改造が行われている。