上田鳳陽
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1769年(明和6年)、長州藩の下級藩士であった宮崎猪兵衞在政(みやざき いひょうえありまさ)の三男として現在の山口市大内氷上で生まれる[3][4]。幼少の頃、上田平右衛門清房の養子となり、清房亡き後、跡を継ぐ。幼い頃から学問が好きで山口では文学を学ぶ。1800年(寛政12年)11月、32歳の時、藩校明倫館に入学(当時の学友として山県太華、中村牛荘がいる)。藩費生の待遇を受けると共に3年という規定年数を超えて、修学し、1809年(文化6年)まで儒学・国学を学ぶ。同年11月、修学を終えて萩から山口に帰郷。山口に学問所が無かった事から、藩士の教育を受ける場所として、1815年(文化12年)、47歳の時、学問所として山口講堂(現・山口大学の淵源)を開設。その貢献は藩主に大いに認められ、中級武士に昇格し、研究専念のため儒役に就く。