上野俊樹
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大阪市西成区出身。大阪府立天王寺高等学校を経て、1968年早稲田大学第一政経学部卒業。1973年大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、立命館大学助教授、1983年教授[2]。1992年「アルチュセールとプーランツァス」で立命館大学より経済学博士の学位を取得。膵臓癌にて死去(享年56)。没後名誉教授。子の上野虎介の名前は、蜷川虎三の「虎」と上野の師匠である見田石介の「介」をとって名づけられた。
研究分野は、イデオロギー論、現代資本主義論、国家論、民族理論など。早大時代は、堀口健治元早稲田大学副学長らと 平和と民主主義確立のため奮闘し、学館管理問題で一部過激派により政経学部長室が封鎖されたとき、解除した。
土曜会という学閥を形成し、立命館大学などから京都大学・大阪市立大学などの大学院に弟子を進学させ、多くの大学教員の育成に貢献した。見田石介の弟子の一人であり、判読しにくい彼の原稿を読まされたり、彼の死判明の夜、棺桶の横で一夜を明かした。見田石介著作集編纂時に、その解説を、鈴木茂(哲学専攻)と分担執筆した。