上野公夫 From Wikipedia, the free encyclopedia 上野 公夫(うえの きみお、1919年〈大正8年〉3月26日 - 2007年〈平成19年〉11月17日)は、日本の経営者。中外製薬第2代社長を務めた。位階は従四位。中外製薬創業者上野十蔵の娘婿。公夫の娘婿に永山治(同社第4代社長)、息子に上野幹夫(同社副会長)らがいる。 東京都出身[1]。1941年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行[1]。1953年11月に中外製薬に転じ、1955年5月に取締役、1956年11月に専務、1958年6月に副社長を経て、1966年4月に社長に就任[1]。1987年3月に会長に就任し、2000年6月には名誉会長に就任[1]。 1990年10月に勲三等旭日中綬章を受章[1]。 2007年11月17日に肺炎のために死去[2]。88歳没。死没日付をもって従六位から従四位に進階した[3]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 興信データ株式會社 2003, う28頁. ↑ 2007年 11月21日 日本経済新聞 朝刊 p43 ↑ 平成19年 2007年12月21日付 官報 本紙 第4735号 9頁 参考文献 興信データ株式會社『人事興信録 第42版 上』興信データ、2003年。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 先代上野十蔵 中外製薬社長1966年 - 1987年 次代佐野肇 Related Articles