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下笠田城

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城郭構造 平山城
築城年 1334年~1338年(建武年間)
主な城主 南部兼綱
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下笠田城
(三重県)
城郭構造 平山城
築城主 多湖刑部左衛門
築城年 1334年~1338年(建武年間)
主な城主 南部兼綱
廃城年 不明
遺構 なし(住宅地)
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置 北緯35度06分45.9秒 東経136度33分06.5秒 / 北緯35.112750度 東経136.551806度 / 35.112750; 136.551806座標: 北緯35度06分45.9秒 東経136度33分06.5秒 / 北緯35.112750度 東経136.551806度 / 35.112750; 136.551806
※座標はおおよその位置
地図
下笠田城の位置(三重県内)
下笠田城
下笠田城
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下笠田城(しもかさだじょう)は、三重県いなべ市員弁町下笠田字旭1550付近(伊勢国北勢地方)にあった日本の城[1]。

城郭形式は平山城。

北勢四十八家の1つ多湖氏の居城であった。

下笠田城は建武年間(1334年~1338年)、多湖刑部左衛門がこの付近を押領し、本城を築城したとされる。代々多湖氏は居住して付近に大きな勢力を持ち北勢四十八家のひとつとなる。永正7年(1510々)には、伊勢国司北畠氏に属する。

永禄10年(1567年)織田氏の北伊勢侵攻の際に城主である多湖大蔵介橘実元が降伏、織田氏の支配下となる。

のちに豊臣政権に移行するとそれに仕え、天正18年(1590々)の小田原征伐に実元が参陣するも討死。以降は多湖氏は本城周辺の庄屋として残る。この時期あるいはそれ以降に廃城となったとされるが詳細な時期は不明。

現在の下笠田城

脚注

参考文献

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