与儀眞助
アメリカ合衆国の野球選手 (1928-1979)
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来歴・人物
ハワイのワイパフ高等学校からハワイ・レッドソックスに入団。1952年にはハワイ・レッドソックスの選手として来日し、4番ショートで試合に出場した[3]。
1953年に大阪タイガースに入団。入団にあたっては、前年から大阪タイガースでプレーしていた小島勝治の推薦があったとも言われている。当初、監督の松木謙治郎は白坂長栄を二塁に回して与儀を遊撃で使う構想だったが同年に入団した吉田義男が遊撃でプレーする事になった為、三塁の藤村富美男を一塁に回し与儀は三塁手として起用された[3]。同年後半には、遊撃手も務める。シーズンでは4月19日甲子園での巨人戦で延長14回にサヨナラ安打を放ち、渡辺省三にプロ初勝利をもたらした[3]。10月15日中日球場での名古屋戦では2本塁打を含む5打席連続安打を記録[3]。同年は全130試合に出場し、打率2割9分5厘(リーグ8位[2])・14本塁打・72打点の好成績を挙げ[4]、三塁手のベストナインに選ばれた。翌1954年も122試合に出場するも、打率も4分近く低下、本塁打も4本にまで減少、打点もほぼ半減し、解雇されハワイに帰国する[3]。
1957年阪神時代の監督であった松木謙治郎が監督に就任した大映ユニオンズに入団して、3年ぶりに日本プロ野球界へ復帰[3]。85試合に出場するも振るわず、大映の毎日との合併に伴って退団した。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1953 | 阪神 | 130 | 560 | 492 | 82 | 145 | 18 | 6 | 14 | 217 | 72 | 19 | 8 | 2 | -- | 61 | -- | 4 | 56 | 18 | .295 | .377 | .441 | .818 |
| 1954 | 122 | 446 | 401 | 53 | 103 | 16 | 3 | 4 | 137 | 37 | 16 | 2 | 3 | 4 | 35 | -- | 3 | 30 | 7 | .257 | .321 | .342 | .663 | |
| 1957 | 大映 | 85 | 236 | 219 | 13 | 44 | 4 | 0 | 0 | 48 | 12 | 6 | 2 | 1 | 0 | 16 | 0 | 0 | 28 | 6 | .201 | .255 | .219 | .474 |
| 通算:3年 | 337 | 1242 | 1112 | 148 | 292 | 38 | 9 | 18 | 402 | 121 | 41 | 12 | 6 | 4 | 112 | 0 | 7 | 114 | 31 | .263 | .334 | .362 | .695 | |
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- ベストナイン:1回 (1953年)
背番号
- 18 (1953年 - 1954年)
- 31 (1957年)