与田順欣
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八代商業高校では1961年春季九州大会県予選決勝に進むが、済々黌高に惜敗。夏も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。しかし本格派右腕として注目され、熊本県選抜チームの一員として佐藤元彦、松岡功祐、末次民夫らとともに沖縄へ遠征した経験を持つ。直球に威力があり、また、スライダー、カーブ、シュートなど多彩な変化球も武器としていた。
1962年に西鉄ライオンズへ入団。同年5月には初先発に起用されるが、結果を出せず2年間は低迷。1963年の読売ジャイアンツとの日本シリーズでは3試合にリリーフで登板。1964年には先発陣の一角に入り、井上善夫と並ぶチーム最多の60試合に登板、7勝18敗を記録する。その後も先発、中継ぎと幅広く起用され、1967年には自己最多となる13勝を挙げるなど主力投手として活躍した。