中井哲之
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広陵高校3年の1980年、第52回選抜高等学校野球大会に1番遊撃手として、第62回全国高等学校野球選手権大会は1番三塁手として出場。この年広陵は、ロッキングモーションのアンダースローで話題を呼んだ渡辺一博と原伸次(元広島)のバッテリーで優勝候補の一角に挙げられたが、春は準決勝で中西清起らの高知商業に、夏は準々決勝で藤本博史らのいた天理高校に敗れた。中井も園川一美(九州学院)ら全試合で好投手とあたったため、6試合でヒット5本と振るわなかったが、ノーサインで盗塁を許された俊足で効果的な盗塁を何度か決めた。
大阪商業大学を経て1985年、母校・広陵高校の商業科教諭となり野球部コーチに就任。1990年4月、野球部監督に27歳で就任。翌1991年春の選抜で同校を65年ぶりの優勝に導いた。決勝では松商学園高のエース・上田佳範(元中日)を打ち込んだ。
2003年春には西村健太朗(巨人)、白濱裕太(広島)、上本博紀(阪神)らを擁して再び全国制覇した。
2007年夏の甲子園、選抜優勝の常葉菊川を準決勝で下して決勝まで進出。80年前と40年前に果たせなかった夏の全国制覇に挑むが、決勝戦の対佐賀北高戦でエースの野村祐輔(広島)が押し出し四球の直後に逆転満塁本塁打を打たれ、敗れた。 なお、この試合後に審判の判定を批判する発言を行ったために中井は高野連から厳重注意処分を受けた[2]。
2021年4月、広陵高校女子硬式野球部の総監督に兼任で就任することが発表された[3](ただし高野連の野球憲章の規定[1][注 1]により、別組織の所属である女子野球部には登録しておらず、他の担当教諭が監督やコーチを務めており、校内の独自的な立場である[4])。
2025年8月、夏の甲子園出場に導き、1回戦を突破するも、部員の暴力騒動により大会途中で出場を辞退。広陵高校は同月21日に中井の監督退任を発表した[5]。また、同部は中井の長男である中井惇一が部長を務めていたが、部長も交代となった[6]。なお、学校職員として副校長に就いているが、こちらは勤務を続ける[7]。また、学校法人広陵学園の理事も兼務しているが、こちらも留任した[8]。
主な教え子
- 二岡智宏(元北海道日本ハムファイターズ)
- 福原忍(元阪神タイガース)
- 山﨑賢太(元中日ドラゴンズ)
- 佐竹健太(元東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 稲田直人(元横浜DeNAベイスターズ)
- 川本大輔(元読売ジャイアンツ)
- 新井良太(元阪神タイガース)
- 西村健太朗(元読売ジャイアンツ)
- 白濱裕太(元広島東洋カープ)
- 上本博紀(元阪神タイガース)
- 俊介(元阪神タイガース)
- 吉川光夫(栃木ゴールデンブレーブス)
- 小林誠司(読売ジャイアンツ)
- 野村祐輔(広島東洋カープ)
- 土生翔平(広島東洋カープ)
- 中田廉(広島東洋カープ)
- 上本崇司(広島東洋カープ)
- 福田周平(オリックス・バファローズ)
- 有原航平(福岡ソフトバンクホークス)
- 上原健太(北海道日本ハムファイターズ)
- 佐野恵太(横浜DeNAベイスターズ)
- 中村奨成(広島東洋カープ)
- 高太一(広島東洋カープ)
- 河野佳(広島東洋カープ)
- 石原勇輝(東京ヤクルトスワローズ)
- 渡部聖弥(埼玉西武ライオンズ)
- 宗山塁(東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 水口拓弥(プロ野球審判員)
甲子園での成績
- 春:出場14回・24勝12敗1分け・勝率.667・優勝2回
- 夏:出場11回・17勝11敗・勝率.607・準優勝2回
- 通算:出場25回・41勝23敗1分け・勝率.641・優勝2回・準優勝2回