中国とブルネイの関係
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歴史
中国とブルネイの関係は約2000年前、中国大陸に前漢王朝のころからあると歴史家たちは考えている。また、13世紀ないし14世紀ごろに福建省アモイや中華民国金門県を中心とした出身の中国系入植者がボルネオ島に到着し、現在のブルネイ周辺地域に定住したと考えられている[2]。文献としては、1225年ごろに趙汝适により書かれた『諸蕃志』には、971年に渤泥国(現在のブルネイのあたりに存在したと考えられる都市国家)から宋王朝に朝貢した記録が残っている。1408年、ブルネイ第2代スルタン・国王アブドゥル・マジード・ハサンは、明王朝へ入貢していた際に病気を患い死亡し、南京にて埋葬され墓が建立された[2]。近代において1888年にブルネイはイギリスの保護領となり、1912年に中国大陸において中華民国が成立した。1920年代にブルネイにて石油が発見されたことにより、大多数の中国人移民がブルネイに移住してきた。第二次世界大戦を経て、1949年に中国大陸に中華人民共和国が成立した際、ブルネイはまだイギリスの統治下にあった。1976年に中華民国政府・台湾が在ブルネイ極東貿易文化センターを設立した。[注 1]
→「zh:中華民國與汶萊關係(台湾とブルネイ関係)」も参照
1984年1月1日にブルネイがイギリスより独立したのち、中華人民共和国とブルネイ・ダルサラーム国は1991年9月30日に国交を結び、互いに大使を派遣し、大使館を設置するに至る。
政治
経済
軍事
西太平洋海軍フォーラムには中国とブルネイ両国ともに参加し軍事協力を行っている[10]。
