中埜和英
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愛知県半田市に、7代中埜又左エ門の中埜政一の長男として生まれる。1973年3月、慶應義塾大学商学部卒業。同年4月、株式会社中埜酢店に入社[1]。
1998年、ミツカンは企業再編し、「株式会社ミツカングループ本社」(現・ミツカンホールディングス)となる。
2002年、7代目中埜又左エ門社長が死去。父の死に伴い、同年5月24日にミツカングループ本社代表取締役社長に就任。2003年6月24日に8代又左エ門を襲名したが[2]、元の名である和英を残して又左エ門和英となる。2010年11月、藍綬褒章受章[3]。
2014年5月、ミツカンホールディングス社長を退任し、同会長に就任。社長は専務の長谷川研治が就いた[4]。この人事に伴い、再び中埜和英に改名した[5]。長谷川は2016年5月23日に健康上の理由で退任[6][7]。以降は社長は空席で、中埜和英と長女の中埜裕子専務らが共同で経営を担った。2020年11月、旭日中綬章受章[8][9]。
2021年5月24日、中埜は、長女の中埜裕子(当時45歳)を社長、次女の中埜聖子(当時42歳)を副社長とする新体制を敷いた[10]。中埜はオンライン会見で、自身が40代で代表権を持つ専務として実質的に経営を担った経緯を述べ、「若いメンバーが十年先を目指して力強く推進していくことが重要だ」と語った[11]。
2022年8月21日、急性心不全のため、半田市の自宅で死去[12]。71歳没。死没日付をもって正五位に叙された[13]。