西野嘉右衛門
From Wikipedia, the free encyclopedia
徳島県勝浦郡小松島浦(現小松島市)で、豪商・西野保太郎の二男として生まれた[1][2][5]。西野家は創業万治元年といわれる阿波藍商人(屋号・野上屋)で、現在は酒造の西野金陵として知られる。
1900年、専修学校(現専修大学)理財課を卒業[1][2][3][5]。一年志願兵として入隊し陸軍二等主計に進み日露戦争に出征した[1][2][4][6]。兄・14代嘉右衛門の死去により、1905年3月27日に家督を継承し15代嘉右衛門を襲名した[1][2][4][6]。
家業の藍商が、外国産の安価な藍の輸入によって影響を受けたため、化学染料製造を開始した[4]。その他、家業の酒造業(銘酒「金陵」)、金物商、塩田事業、煙草元売捌などを経営した[1][2]。また、金陵西野商店会長、阿波国共同汽船会長、阿波商業銀行頭取、日本製飴社長、阿波藍同業組合評議員などを務めた[1][2][3][5]。
政界では、1938年の貴族院多額納税者議員補欠選挙で当選して、同年10月31日に就任し[7]、翌1939年に再選され[8] 研究会に所属して活動し、1940年10月15日[9]まで2期在任した[1][2][3]。
文化面では、喜田貞吉などを講師に招いて小松島講演会を開催し、『阿波藍沿革史』などを刊行し、1940年には徳島県教育会長に就任した[1][2]。
著作
- 『阿波藍沿革史』西野嘉右衛門、1940年。
