中山了
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高知県出身[1][2]。1942年(昭和17年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1948年(昭和23年)に産業経済新聞社に入社する[2]。1964年(昭和39年)12月に大阪本社編集局長に就任し、その後、取締役、本社編集局長、常務、専務などを歴任し、1974年(昭和49年)2月をもって退任[2]。
名古屋タイムズ社長、名古屋タイムズ印刷社長を経て、1975年(昭和50年)5月に中日新聞社取締役に就任し、常務、専務などを務めた[2]。1984年(昭和59年)、中日新聞社専務名古屋本社代表に就任[1]。1983年(昭和58年)8月1日付で中日新聞東京本社編集局長職を解かれ、同社専務になった[3]。1984年(昭和59年)6月30日付で東京本社代表・スポーツ紙担当から名古屋本社代表専務編集担当になる[4]。1985年(昭和60年)6月7日付で堀田一郎に代わり、中日ドラゴンズの球団社長に就任した[5]。同月24日付で中日新聞社専務名古屋本社代表兼編集担当から同社相談役になった[6]。
中日球団社長を10年3か月間務めたが[7]、1995年(平成7年)9月2日に球団の成績低迷の責任を取り[8]、佐藤毅と交代する形で同職を退任した[9]。中日球団社長在任期間中の1986年(昭和61年)には当時39歳だった星野仙一を監督に起用し、同時に読売ジャイアンツ(巨人)との争奪戦の末、ロッテオリオンズに所属していた落合博満を獲得する大型トレードを成功させ、1988年(昭和63年)にチームは6年ぶりのセントラル・リーグ優勝を達成した[10]。また社長就任前後に台湾から郭源治、韓国から宣銅烈をそれぞれ獲得する道を開いた[10]。