中山冷泉為親 安土桃山時代から江戸時代初期の公家。中山冷泉家(今城家)の祖。従四位下右近衛少将 From Wikipedia, the free encyclopedia 中山冷泉 為親(なかやまれいぜい ためちか)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公家。権大納言・中山親綱の次男。中山冷泉家(今城家)の祖。 時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期生誕 天正3年9月28日(1575年10月31日)死没 慶長15年7月26日(1610年9月13日)戒名 蓮池院清月浄空概要 凡例中山冷泉為親, 時代 ... 凡例中山冷泉為親時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期生誕 天正3年9月28日(1575年10月31日)死没 慶長15年7月26日(1610年9月13日)戒名 蓮池院清月浄空官位 従四位下、右近衛少将主君 正親町天皇→後陽成天皇氏族 中山家→上冷泉家→中山冷泉家父母 父:中山親綱、母:白川雅業王女兄弟 慶親、為親、憲応、親子、今出川季持室、女子妻 五条為経女子 為尚、尊済、某女王テンプレートを表示閉じる 経歴 天正3年(1575年)中山親綱の次男として生まれる。天正13年(1585年)冷泉為満が、山科言経・四条隆昌と共に突如として勅勘を蒙り京都を出奔する。そこで、親綱の次男が、冷泉家の通字「為」を入れて為親と名乗り、為満の養子となって上冷泉家の家督を継承した。同年、従五位上・侍従に叙任されると、右近衛少将を経て慶長2年(1597年)には従四位下まで昇進している。 しかし、翌慶長3年12月7日(1599年1月3日)に言経とともに赦免された為満が、上冷泉家の当主に復帰。為親は上冷泉家の当主ではなくなったが、新たに堂上家を創設することが許され、中山冷泉家を興した。これがのちの今城家となる。 慶長15年(1610年)7月26日卒去。享年36。法号は蓮池院清月浄空。 系譜 父:中山親綱 母:白川雅業王の娘 妻:五条為経の娘 男子:中山冷泉為尚 男子:尊済 - 金剛王院 女子:某女王 - 白川雅朝王猶子[1] 官歴 『諸家伝』による。 天正3年(1575年) 9月28日:生[2] 天正13年(1585年) 7月:従五位下。12月27日:元服、従五位上、侍従 天正14年(1586年) 4月13日:右近衛少将 天正17年(1589年) 正月6日:正五位下 慶長2年(1597年) 正月13日:従四位下 慶長15年(1610年) 7月26日:卒去[2] 脚注 [脚注の使い方] [1]日本の親王・諸王「褰帳女王表」参照。後水尾天皇の左の褰帳を務めた。 [2]『系図纂要』 出典 『系図纂要』第六冊(宝月圭吾・岩沢愿彦監修、名著出版、1973年) 正宗敦夫編『諸家伝』日本古典全集刊行会、1940年 日本の親王・諸王「褰帳女王表」 Related Articles