中山英子
From Wikipedia, the free encyclopedia
中山 英子(なかやま えいこ、1970年9月28日 - )は、長野県松本市出身のスケルトン選手。地元信濃毎日新聞記者時代、長野オリンピック取材をきっかけにスケルトン競技をスタートし、53年ぶりにオリンピック種目に復活した2002年のソルトレークシティーオリンピックに日本女子初の代表選手として出場。新聞記者と二足のわらじを履いた異色の選手として注目された。2006年トリノオリンピックに連続出場。長きにわたり、そり競技の発展を目指してけん引。2016年、選手選考基準を巡ってスポーツ仲裁裁判を行い、スポーツ現場の公正を訴えた[1]。引退後は東京2020オリンピック・パラリンピック大会で海外競技団体の事前キャンプ誘致と受け入れ自治体をコーディネートし、スポーツによる地域創生などに取り組む[2]。2022年に拠点を移して活動。2023年地元長野県松本市で行われた統一地方選挙に立候補し当選。松本市議会議員として中心市街地の活性化やスポーツや文化によるまちづくりに取り組む。
長野県松本県ヶ丘高等学校出身。早稲田大学社会科学部卒。信濃毎日新聞社所属(記者)[3]。 大学時代、学生新聞の早稲田スポーツの記者として野球、水泳、陸上を担当した。1993年早稲田大学が箱根駅伝優勝の際、チーフとして箱根駅伝特集号発行のため取材。
1994年に信濃毎日新聞に入社し、1998年長野オリンピック・パラリンピックには運動部記者として関わった[3]。ポスト五輪に高い関心を持ち、取材活動。
1997年にスケルトンの第一人者である越和宏に取材。施設の後利用が課題とされていたそり競技施設長野市ボブスレーリュージュパークスパイラル[4]にとって、スケルトンは救世主になるのではと考えるようになりスケルトンに注目。長野五輪後、選手らに勧められて始めたスケルトン競技にはまり、自らも競技を始める。
2002年ソルトレークシティオリンピック日本代表(12位)、2006年トリノオリンピック日本代表(14位)[5]。スケルトンワールドカップでは2003年サンモリッツ大会で5位入賞したことがあり、全日本スケルトン選手権大会では4回優勝している。
2011年、勤続18年で信濃毎日新聞社を退社し、実家の日新堂製菓[6]の所属となって競技に専念[3]。2015年までワールドカップ、インターコンチネンタルカップ、ヨーロッパカップ、ノースアメリカンカップなど欧米諸国を転戦。
2016年6月、日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟に対し、海外レース選手選考の不正をただすよう、自身を含めた女子選手4人で日本スポーツ仲裁機構に申し立て[7]を行う。
2016年10月和解[8]。
2016年12月、長野市スパイラルで行われたスケルトン日本選手権3位を最後に現役選手を引退[9]。
2017年6月、JOCアスナビNEXTの仲介で、株式会社電通に入社。東京2020オリンピック・パラリンピック局で海外チームの事前キャンプ誘致と、受け入れ自治体との仲立ちをし、スポーツによる地域創生事業に携わる。早稲田大学所沢キャンパスをイタリアオリンピック委員会(CONI)のキャンプ地とし、陸上、水泳、フェンシングなど主要種目を受け入れ、数年前より事前キャンプを行い、イタリアチームの躍進を支えた。そのほか、イタリアボートチームを長野県下諏訪町に誘致。パラリンピックでは、アイルランドチームに成田市に、カナダ車いすバスケットチームを名古屋市に、ブラジルブラインド柔道チームを弘前市に、ウクライナゴールボールチームを札幌市など数々のコーディネートを実施。スポーツによる共生社会づくりを推進した。2021年12月、契約満了で電通を退社後も、地域創生コーディネーターとして継続的に自治体をサポート[10]。
2022年、社会法人先端教育機構社会構想大学院大学の「地域プロジェクトマネジャー養成課程」を修了。
2023年4月、統一地方選挙で故郷長野県松本市の市議会議員選挙に無所属で立候補し、31人中7位で当選。中心市街地出身の議員として活動。松本パルコや井上百貨店閉店後の中心市街地の再活性を目指し、市議会定例会の一般質問で積極的に取り上げるほか、地域づくり、スポーツ、文化、教育、経済、インフラなど、幅広いテーマを取り上げ、多様な社会人経験とスポーツと取材で世界を巡った視野と行動力を武器に、市民を巻き込んだ活動を繰り広げる[11]。