始祖は、嵯峨天皇第12子河原院(左大臣源融)の末裔の嵯峨源氏に属する。室町時代、尾張国中島郡中島村(現愛知県一宮市)を領し、「尾州中島城主本居山城守源氏孝」を名乗る。戦国中期以降、斯波氏や織田氏などの新興勢力に圧され衰退し、豊臣秀吉の家臣となった。
氏種は、秀吉の勢力拡大に従って各地を転戦し、秀吉の死後も豊臣家に仕えた。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いにおいては石田三成の陣に属して戦うが敗れ、慶長19年(1615年)大坂夏の陣において遊軍として兵2,000を率い奮戦するも落城を待たず自刃した。
「黒よろいに白一本しなえ」と言う姿と諱が正利との伝承が系譜の家に伝わっている。難波戦記においても「白一本〇(竹冠に袋)の馬印」とある。