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中川恒次郎

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中川 恒次郎(なかがわ つねじろう、1863年(文久3年)3月 - 1900年(明治33年)8月14日)は、明治時代の日本の外交官、経済学者。在タウンズビル日本帝国領事館や在シドニー日本帝国領事館の初代領事などを務めた。

来歴

1863年(文久3年)3月、江戸に生まれる[1]。1884年(明治17年)、東京大学法理文学部政治学及理財学科を卒業し、文学士の学位を取得し[1][2]、卒業後、大蔵省に入省した[1]。

大蔵省勤務のかたわら、1886年(明治19年)から1887年(明治20年)にかけて『経済實學講義』二巻を著し、同書はドイツ歴史学派を日本で紹介した最初の導入書とされる[3]。1887年(明治20年)の国家学会創立時には雑誌委員を務めた[4]。

1887年(明治20年)、領事館書記生としてシンガポールに赴任[4]。在マニラ領事館書記生を経て[5]、1889年(明治22年)にソフィア・ロードに在シンガポール日本帝国領事館が開設されると、初代として領事代理に着任した[6]。

1893年(明治26年)、在元山一等領事に就任し[7]、マカオ、広東、汕頭、瓊州を兼轄[8]。1894年(明治27年)、在香港一等領事に転任し[1]、1895年(明治28年)に引き続きマカオ、広東、汕頭、瓊州の兼轄を命じられた[9]。

1896年(明治29年)、オーストラリアで初の日本公館となる在タウンズビル日本帝国領事館が開設されると、初代となる一等領事に就任[10]。1897年(明治30年)、在シドニー一等領事[11]、高等官四等[12]、正六位[13]。

1898年(明治31年)、在アメリカ合衆国公使館一等書記官に任じられた[14]。公使館一等書記官在職中の1900年(明治33年)年8月14日に死去し、従五位が追贈された。享年38[15][1]。

著書

  • 『経済実学講義 巻ノ1,2』1886年
  • 『通信講授録 経済学篇 第1』有志学術攻究会通信部 1886年
  • 『通商偶見』1900年

脚注

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