中川神社 (中津川市)
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| 中川神社 | |
|---|---|
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拝殿 | |
| 所在地 | 岐阜県中津川市中津川4-816-1 |
| 位置 | 北緯35度30分24.8秒 東経137度30分19.8秒 / 北緯35.506889度 東経137.505500度座標: 北緯35度30分24.8秒 東経137度30分19.8秒 / 北緯35.506889度 東経137.505500度 |
| 主祭神 |
菊理媛命 伊邪册命 木花咲耶媛命 |
| 社格等 |
銀幣社・式内社(小) 旧村社 |
| 創建 | 不明 |
| 本殿の様式 | 三間社流造 |
| 例祭 | 4月第2日曜日 |
| 地図 | |
例祭
4月第2日曜日 中津川太鼓、神代獅子などが奉納される。
歴史
美濃国恵那郡の式内社の中川神社である。中津川市の産土神である。
創建時期は不明。恵那山が天照大神の胞衣を収めた地(恵那神社)とされていることから、古くからこの辺りが神聖な地とされていたと考えられ、伊邪那岐命が生まれた地という言い伝えもある。
かつては白山社または薄野森と称し、木曽川の女神を祀ったのが起源であり、この女神が後に3柱の女神(菊理媛命・伊邪册命・木花咲耶媛命)に変更されたという説もある。
現在の読みは「なかがわ」であるが、古くは「なかわ」「なかつかわ」と呼称していた時期もあり、中津川の地名の由来という説もある。
また、木曽川の支流の中津川を、古くは中川と呼んでいたという。
「美濃古道御坂越記」や「中川舊記」によれば、元は熊野権現本社であったが再建の時に白山大権現(菊理媛命)を主に熊野(伊邪册命)・富士(木花咲耶媛命)の両社を相殿に奉祀したことが記してあり、大正寺という別当寺が社を管理していた。
寺跡は中川神社の南麓にあたる。現在は住宅街となっているが、宝篋印塔1基と五輪塔1基がある。中川神社との尾根続きの住宅の庭より白瓷系陶器片(山茶碗)が採集されているが、窯跡か住居跡かの判断はつかない。
「美濃古道御坂越記」によれば、天正2年(1574年)、白山大権現が武田勝頼の東濃への侵攻の際に兵火で焼失したが、その中殿には白山、左は熊野、右は富士の相殿で、結構華美を極めた社殿と僧坊であったが焼討され、神主と社僧の墓だけが残ったとされる。
そのためか江戸時代、中山道の中津川宿の神社は3つ(八幡祠・白山権現祠・神明祠)となっており、中川神社の名は消失している。戦国時代の焼失から江戸時代初期の間に分祀されたと考えられる。
明治時代になって「白山権現祠」が中川神社とされ、明治6年(1873年)村社となる。
現在の本殿は延宝5年(1677年)の再建であるが、この時には拝殿などは再建されなかった。平成14年(2002年)に拝殿、直会殿が再建され、同時に境内の整備が行なわれる。
