恵那神社
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| 恵那神社 | |
|---|---|
|
前宮拝殿 | |
| 所在地 | 岐阜県中津川市中津川字正ヶ根3786(前宮) |
| 位置 |
前宮:北緯35度26分36.5秒 東経137度32分0.9秒 / 北緯35.443472度 東経137.533583度座標: 北緯35度26分36.5秒 東経137度32分0.9秒 / 北緯35.443472度 東経137.533583度 奥宮:北緯35度26分25.7秒 東経137度36分1.2秒 / 北緯35.440472度 東経137.600333度 |
| 主祭神 |
伊弉諾命 伊弉册命 |
| 社格等 |
式内社(小) 旧県社 金幣社 |
| 創建 | 不明 |
| 本殿の様式 | 流造 |
| 例祭 |
9月29日(前宮) 9月19日(奥宮) |
| 地図 | |



恵那神社(えなじんじゃ)は、岐阜県中津川市に鎮座する神社。中津川市川上(かおれ)正ヶ根に前宮があり、恵那山頂に奥宮がある。
主祭神 (前宮)
例祭
歴史
創建時期は不明。恵那山は伊弉冉命が天照大神を生んだ際の胞衣(えな へその緒のこと)を納めた地であり、かつては恵那山自体が御神体であったという。
恵那山を中心とし、西に恵那神社、東に阿智神社が位置している。
やがて神仏習合により、恵那権現とも称されたという。
延喜式神名帳より後に作成された『美濃国神名帳』には恵奈郡七社があり、恵那山山頂の社を恵奈神社、中津川市川上(かおれ)の社を加上明神と記されている。
恵那山頂には、摂社として葛城神社(一言主命)、富士神社(木花咲開姫神)、熊野神社(速玉男命)、神明神社(天照大神・豊受大神)、劔神社(天目一箇命)、一宮神社(猿田彦神)が祀られている。
かつて麓の里宮のあたりには別当寺の宗泉寺もあって殿舎も多かったが、
天正2年(1574年)に武田勝頼から指令を受けた木曽義昌が阿寺城を攻略した際に、寺や殿舎が壊敗したと伝わる[2]。
天正4年(1576年)に「七社共再建」の棟札があった記録が残っている[3]。
元々は恵那山山頂が本宮、麓が前宮であったが、元和6年(1620年)に前宮を新たに造営し直した際に、本宮が奥宮、前宮が本宮に変更された。
明和4年(1767年)、修験道の行者の覚明が恵那山で17日間の断食修行を行った。
明治4年(1871)、恵那郡の総鎮守総氏神となり尊崇される。
明治6年(1873年)に恵那郡6村(中津川村、手賀野村、駒場村、千旦林村、茄子川村、落合村の郷社、大正14年(1925年)に県社となった。
指定文化財
岐阜県指定重要文化財
長さ76.2cm 反り3.6cm 平安時代 指定年月日:昭和44年(1969年)8月5日
太刀の力匠の貞綱は寛弘年間の人物と伝えられ、「恵那神社誌」によると木曾義仲が奉納したものと記されている。
現在は、中津川市苗木遠山史料館にて保管されている。
岐阜県指定天然記念物
本宮の前にある夫婦スギが、昭和41年(1966年)9月14日に、岐阜県の天然記念物に指定された。左側の夫杉が幹周り6.29 m・高さ47 m、右側の婦杉が幹周り5.48m・高さ46 m。推定樹齢が600年から800年で、樹勢は旺盛である[6][7]。
岐阜県重要無形民俗文化財
指定年月日:平成元年(1989年)7月7日
岐阜県重要有形民俗文化財
指定年月日:昭和33年(1958年)12月14日
交通機関
- 中津川駅前バスターミナル(中央本線中津川駅)1番のりば北恵那交通川上線「恵那山ウェストン公園」行き、「恵那山ウェストン公園」バス停下車、徒歩約45分。
関連項目
- 血洗神社 - 伊弉冉命が天照大神を出産した後に、胞衣を洗い清めたとされる「血洗池」の傍らに鎮座。
