中本富士雄

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国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県
生年月日 (1938-06-13) 1938年6月13日(87歳)
身長
体重
172 cm
77 kg
中本 富士雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県
生年月日 (1938-06-13) 1938年6月13日(87歳)
身長
体重
172 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1958年
初出場 1958年4月8日[1]
最終出場 1962年9月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中本 富士雄(なかもと ふじお、1938年6月13日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手投手)。

岩国商業高では柳井高遠井吾郎とともに、山口を代表する選手として知られていた[2]1957年夏にはエースとして、初の西中国大会進出に導いている[3]

高校卒業後、社会人野球東洋紡岩国を経て、1957年暮れに広島カープへ入団。元々は南海ホークスのテストに合格していたが、地元の岩国市へ帰る汽車の中で付き添いの高校時代の監督から広島という球団の存在を知り、広島駅で途中下車して広島市民球場でテストを受け合格し、実家に近いという理由で広島入りした[4]

入団1年目の1958年から長谷川良平備前喜夫に次ぐ先発3番手として期待され[5]、ルーキーイヤーは1度の完封勝利(5月22日阪神タイガース戦〈甲子園球場[1])を含む7勝を挙げている。

しかし、翌1959年以降は肩痛が悪化し、登板数が激減[5]1962年になって、ようやく肩痛の原因は血栓による血行障害が理由だと判明[5]。手術を受けるが、当時の医療制度では以前の状態は戻らず、同年限りで現役を引退した[4][5]

その後は東洋工業に入社し、その傍ら野球教室を開催[5]。80歳を過ぎても指導を続けていたという[5]

詳細情報

脚注

関連項目

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