中村あゆみのオールナイトニッポン
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パーソナリティは、当時ちょうど自身の出世作である『翼の折れたエンジェル』がヒットしていた歌手、中村あゆみ。ディレクターは原田達朗[1][注釈 1]。
全体的にコーナーは少なかった番組とされ、特に28:00(午前4時)台は普通のお便りや、リスナーから悩みなどの相談事、社会問題などについて意見を募集していた『傷だらけのエンジェル』コーナー、『LOVE』コーナーにほとんど時間を費やしていた。そしてこれらのコーナーでは、真剣に答えようとするあまり感情がモロに出てしまい、激しい言葉もよく出ていたとして、それが好評だったようである[1]。それゆえ、「まるで言葉が革ジャン着てるみたい」といったはがきが送られて来たことがあるように「『オールナイトニッポン』の歴史の中でも、最も過激な女性DJ」と評されたこともあった[3]。女性リスナーも多く、はがきより封書が多かったといわれる[1]。これらのコーナーから発展する形で、1986年の夏には『トークライブVol.1』と題して、いじめ、自殺、校内暴力など様々な問題について22人のリスナーとの討論会を行っている[4]。
最終回の放送は、放送前日の1987年1月29日にニッポン放送内のラジオハウス銀河(銀河スタジオ)で、司会に上柳昌彦アナ、ゲストに中村あゆみのプロデューサーであった高橋研を迎えて『中村あゆみトークライブ・これで終わりじゃないよ』と題して、リスナー約100人を招待して収録された。この日は『あゆみのよく使う言葉コーナー』が設けられ、ここで発表されたものによると、第3位は「てめえいい加減にしろよぉ」「お前ら」「あたしさぁ」、第2位は「お前なァ」「ぶっとばしてやる!」、第1位は「バカヤロォ―!」だった。ラストは、高橋研の弾くギターの生演奏に合わせ、中村がシングル曲『A BOY』を歌った[5]。
本番組スタート当時の中村あゆみの年齢は18歳。これはオールナイトニッポンパーソナリティの中では、川村かおり(1989年4月当時)、松浦亜弥(2005年4月当時)と同じである。
主なコーナー
脚注
注釈
- ↑ 当時サウンドマン所属のディレクター。1986年当時は本番組の他に『新田恵利 みーんなわがまま』『玉置宏の笑顔でこんにちは』(以上ニッポン放送)、『博子のPAOPAOステーション』(東海ラジオ放送他)、『KPOP-YU』(FM横浜)を担当していた[2]。本番組の後継番組『久本雅美のオールナイトニッポン』も引き続き担当。
出典
| オールナイトニッポン 金曜2部 |
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前担当
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中村あゆみのオールナイトニッポン
金曜 27:00 - 29:00 |
次担当
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| シングル | 1.Midnight Kids - 2.ぼくのスノビズム - 3.翼の折れたエンジェル - 4.A BOY - 5.真夜中にラナウェイ - 6.ちょっとやそっとじゃCAN'T GET LOVE - 7.ONE HEART - 8.Rolling Age - 9.Still - 10.Precious friend - 11.Only You - 12.ともだち - 13.メインストリート - 14.LIKE A FIRE - 15.It's All right - 16.BROTHER - 17.HERO - 18.Jin Jin Jin - 19.LADY BOOGIE - 20.MIDNIGHT HALLELUJAH - 21.空飛ぶ魔法のジュータン - 22.Shining Love - 23.キライになれない - 24.風になれ - 25.エデン - 26.ラブ・リインカーネイション - 27.Venus - 28.I'm NUDE - 29.風になれ - 30.Sa-ah! - 31.僕が僕であるために | ||||||||||
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