中村京太郎
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1880年に静岡県浜名郡和地村(現・浜松市中央区)で生まれた。生来の弱視で、小学校に入ることもできなかった。13歳になって、東京盲唖学校の存在を知る。反対する両親を説得して、1894年に14歳で同校に入学する。卒業と同時に東京盲唖学校の普通科教員になったが、これは、視覚障害者が同校の普通科教員になったケースとしては第1号であった。台湾慈恵院盲部の主任教諭などを務めて、1922年に『点字毎日』の編集主任になり、同紙の刊行に尽くすとともに、視覚障害者のための数々の事業をも始めた。
- 『道ひとすじ―昭和を生きた盲人たち―』で、昭和時代に活躍した著名な盲人100人の一人に挙げられている。
- 著書『評論集 光よ照らせ』と、阿佐博『中村京太郎―目を閉じて見るもの―』は、大空社の「盲人たちの自叙伝」第3期20冊の1冊として復刻された。
略歴
- 1880年3月 静岡県和地村で生まれる
- 1894年 東京盲唖学校(現筑波大学附属視覚特別支援学校に入学)
- 1900年 東京盲唖学校の普通科教員になる
- 1901年4月 正則英語学校夜間部に入学し、英語を学ぶ
- 1904年 台湾慈恵院盲部(現・國立臺南大學附屬啟聰學校)の主任教諭・校長になる
- 1911年 同院を退職して帰国する
- 1912年 イギリスの盲人高等師範学校に入学する
- 1914年 ロンドンで開かれた第4回万国盲人事業家大会に出席する
- 1919年 左近允孝之進により創刊された点字週刊誌『あけぼの』を復刊させる
- 1922年 『あけぼの』を廃刊し、『点字毎日』の編集主任になる
- 1931年 ニューヨークで開かれた世界盲人事業者会議に出席する
- 1944年 『点字毎日』の実務を退き、顧問になる
- 1947年 文部省盲教育義務制実施準備委員になる
- 1950年 パリで開かれたユネスコ世界点字統一会議に出席する
- 1955年 青鳥会からヘレン・ケラー賞を受ける
- 1963年 日本盲人会連合から岩橋賞を受賞する
- 1964年12月24日 逝去。享年84