中村信敏 From Wikipedia, the free encyclopedia 中村 信敏(なかむら のぶとし、1903年(明治36年)1月23日[1] - 1978年(昭和53年)11月17日)は、日本の法律家。元東京高検刑事部長、退官後、弁護士としてロッキード事件、日通事件等に携わる。妻・榮子は陸軍少将篠原四郎の長女[1]。 1903年(明治36年)、北海道小樽市にて生まれる[1]。1928年(昭和3年)に法政大学法学部を卒業し、司法試験に合格後、検察官に任官し、1931年(昭和6年)9月東京地方裁判所検事に任官される[1]。検察官として中野正剛の逮捕事件、炭鉱国管疑獄事件などに携わる。東京高等検察庁刑事部長などを務め、1951年(昭和26年)退官後[1]、弁護士として、ロッキード事件で児玉誉士夫、日通事件で福島敏行の弁護人を務める。 1978年(昭和53年)11月17日に死去。 脚注 1 2 3 4 5 『人事興信録 第16版 下』人事興信所、1951年、な44頁。 参考 『戦後疑獄』(潮出版社、1968) 『昭和物故人名録』(日外アソシエーツ、1983) 『証言・私の昭和史 第4巻』東京テレビ(文芸春秋、1989) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。表示編集 Related Articles