中村光男 (文化人類学者)
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旧関東州大連市生まれ。父中村繁次は満州電業技師、のち北満支社長、戦犯としてソ連に抑留、20年の重労働刑、1955年帰国後、キリスト教牧師となる。家族は敗戦後1947年まで、中国東北部長春市で過ごした。1947年8月東京に引き揚げ[1]。
1949年東京都立国立中学校卒業、1952年東京都立新宿高等学校卒業を経て、同年、東京大学入学。中学・高校時代より、青年共産同盟(青共)に加入、わだつみ会、反戦学生同盟で活動。1953年東京大学教養学部自治会副委員長。1955年以降、日本共産党六全協後の沈滞した学生運動の再建に努力[2]。1956年、全学連中央執行委員、1956-1958年 日本反戦学生同盟(AG=アー・ジェー)を再建、全国委員長。1958年反戦学同を社会主義学生同盟(社学同)に発展的解消、初代委員長となる。同年末共産主義者同盟(ブント)創立に参加、1960年安保闘争の後まで、新左翼運動の活動家として活躍した[3]。
1960年、東京大学文学部哲学科卒業後、文化人類学に専攻を転じ、1965年、東京大学大学院より修士号取得、同年フルブライト奨学生として、アメリカ・コーネル大学に留学。インドネシアのイスラーム近代主義運動「ムハマデイヤー」に関する現地調査(1970−1972年)に基づき博士論文作成、1976年、コーネル大学からPh.Dを取得[4]。
職歴
南オーストラリア・アデレード大学人類学部シニア・ティーチング・フェロー(1974-1975年)を経て、ジャカルタのインドネシア社会科学研修センターのリサーチ・アソシエイト(1976−1977年)、オーストラリア国立大学アジア太平洋研究所客員研究員(1978−1981年)、ハーヴァード大学世界宗教研究所客員研究員(1981-1982年)、オーストラリア国立大学アジア研究学部客員研究員(1982年)を務め、1983年より千葉大学文学部行動科学科教授、1993年ハーヴァード大学中東研究センター客員研究員(フルブライト・シニアフェロー)[4]。
1999年、千葉大学を定年退職。同大学名誉教授となる。2001年中央大学総合政策研究大学院客員教授。2004年、ハーヴァード大学中東研究センター客員研究員。
受賞
- 1998年インドネシア共和国駐日大使より日イ友好感謝状。
- 2017年9月28日、インドネシア政府教育文化大臣より「文化功労賞」を授与される[5]。
- 2017年11月18日、ムハマデイヤーより「ムハマデイヤー賞」を授与される。