中村綱長
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経歴
応永29年(1422年)、小栗満重、真壁秀幹の軍に中村城が攻め込まれると、綱長は父の家長ととも中村領の守備に入り、一族の伊達持宗からの援軍を得て小栗・真壁軍を撃退した[4]。
小栗満重が再三にわたる足利持氏への反乱を起こしたため、応永30年(1423年)、持氏は大軍を率いて小栗満重を攻めた。綱長は父の家長や伊達持宗と共に小栗追討軍に加わり[4]、満重は居城であった小栗城で自刃して果てた(小栗満重の乱)[5]。
永享11年(1439年)、足利持氏が自害すると、翌年の永享12年(1440年)、結城氏朝が足利持氏の遺児である春王丸や安王丸らを擁立し、結城城に籠城し、幕府に対して反旗を翻した。将軍の足利義教は上杉清方を総大将に攻め入った。綱長は宇都宮等綱の結城討伐軍に合流し、嘉吉元年(1441年)結城城は落城した。