Wikiwand AI

中村綱長

From Wikipedia, the free encyclopedia

中村 綱長(なかむら つななが)は、室町時代の日本の武将。幼名、小太郎。藤原綱長、中村太郎、中村左衛門尉。中村氏第10代当主。第9代中村城主。

生誕 不明
死没 長禄4年(1460年10月4日)[1]
別名 藤原綱長、中村小太郎、中村太郎、中村左衛門尉
概要 凡例中村綱長, 時代 ...
 
中村綱長
時代 室町時代
生誕 不明
死没 長禄4年(1460年10月4日)[1]
別名 藤原綱長、中村小太郎、中村太郎、中村左衛門尉
戒名 經源院殿常正近剛大居士[1]
墓所 栃木県真岡市寺内荘厳寺[1]
幕府 室町幕府
主君 足利持氏→足利義教→宇都宮等綱
氏族 中村氏 (下野国)
父母 父:中村家長、母: 秀尼院(千葉満胤の娘[1])
妻 遊寺院[2](鹿島憲幹の娘[3])
子 宗長
テンプレートを表示
閉じる

経歴

応永29年(1422年)、小栗満重、真壁秀幹の軍に中村城が攻め込まれると、綱長は父の家長ととも中村領の守備に入り、一族の伊達持宗からの援軍を得て小栗・真壁軍を撃退した[4]。

小栗満重が再三にわたる足利持氏への反乱を起こしたため、応永30年(1423年)、持氏は大軍を率いて小栗満重を攻めた。綱長は父の家長や伊達持宗と共に小栗追討軍に加わり[4]、満重は居城であった小栗城で自刃して果てた(小栗満重の乱)[5]。

永享11年(1439年)、足利持氏が自害すると、翌年の永享12年(1440年)、結城氏朝が足利持氏の遺児である春王丸や安王丸らを擁立し、結城城に籠城し、幕府に対して反旗を翻した。将軍の足利義教は上杉清方を総大将に攻め入った。綱長は宇都宮等綱の結城討伐軍に合流し、嘉吉元年(1441年)結城城は落城した。

結城氏朝が討死にすると、中村十二郷は宇都宮等綱によって中村領として安堵された[4]。

出典・脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks